加害者にも被害者にもなりうる
あおり運転のニュースで、「加害者にも被害者にもなりうる」というようなことが言われていました。
あんな恐ろしい映像を見てしまうと、被害者として殴りかかられたらどうしようとかばかり心配してしまいがちですが、自分が加害者にもなりうるというのも意識しないといけないですね。
実際、焦っている時など、前の車がもたもたした感じだと、早く行ってよと思いながら接近してしまうことがあったりします。
相手からしたらそれだけであおり運転と感じてしまいますね。
じゃあどうしたらそういった早く行って欲しいなという気持ちを抑えられるかなと考えてみましたが、常に心に余裕を持つくらいなのかな、、、、と大した答えも見つかりませんでした。
そんなのでは全くダメなので、自分で運転しないか、すべての車が自動運転の世の中になるか、、、何れにしても現実的ではないので、かなり難しいなという結論に至りました。
あおり運転をしない方法を考える前に「加害者にも被害者にもなる」というワードを聞いた時、パッと思い出したのが、ミスチルの「タガタメ」という曲でした。
その歌の歌詞にこんな歌詞があります。
子供らを被害者に 加害者にもせずに
この街で暮らすため まず何をすべきだろう?
でももしも被害者に 加害者になったとき
かろうじて出来ることは相変わらず 性懲りもなく愛すこと以外にない
この歌は子供に関わる事件が起こったことが背景にあるということが書かれていたので、あおり運転とは全く関係ないです。
うちにはまだ子供がいないので、例えば家族が事件の被害者・加害者になった時、どういう感情になるかなと考えてみましたが、正直全く想像できません。
「愛すことだけ」
どんなことを家族がやってしまう、やられてしまうのかによって違うのだと思ってしまいますが、どんなことにおいても「愛すことだけ」をするのは難しいのかなと思ってしまいます。
ただ、やられたらやり返すという世の中は嫌だなと思っています。
精進が必要かも。。。